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Janre:
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現実の顕在性と潜在性 〜ダイエットを通じて〜
私は時々、取るに足らない空想に駆られることがある。
いわば空想遊びである。
たとえば、「一杯入魂」。
ラーメン屋などで稀に見かけるような、四文字熟語に模した決意表明のことばだ。
敢えて説明するまでもないが、「一杯一杯に魂を込めてラーメンを作ります」という
クサい
意味である。
ということは、だ。
▼... Read more ≫
作り手の魂は一日に何十何百もに分裂し、ラーメン鉢内に注入されていることになる。
あるいは細胞と同じで、私たちはもともと魂を億単位で有しているか。
いや。でもやはり、人魂は一人につき一つじゃないか。
ならば魂が抜けたら、作り手は死ぬか仮死状態になるはずじゃないかとか。
と、こういった具合だ。
しかし、やはり「事実は小説より奇なり」である。
現実を超越する空想・想像・創造をするのは至難の業なのである。
そのことを痛感させられたのは、東大阪を歩いていたある日のこと。
とある看板を目にし、思わず歩を止めてしまった。
「ダイエットは聞いて」
会話の中でこのフレーズを聞けば、難なくその意味を理解できただろう。
しかしこれが前後の文脈無き文で表されると、訳が違う。
ほんの少しの間だけ、考えさせられてしまった。
「ダイエットが主語?じゃあダイエットが何かを聞いているということ?」
しかしすぐに、
「ダイエット(のこと)は(私に)聞いて」
と意味すると考えるのが妥当だろうという結論に落ち着く。
なるほど。発言主体はダイエットにお詳しいようでいらっしゃる。
「日本語は聞いて」と言いたい気持ちを抑え、是非お話を拝聴してみたいものだ。
しかし、である。
問題は「(私に)」の「私」が誰なのかだ。
これがわからない。
下の写真をご覧になってほしい。
1階は昔ながらの喫茶店で2階は幼稚園。看板はその中間にある。
「誰に聞くねん!」
空想癖がある私は、すぐに思考・想像放棄的ツッコミを抑制することにする。
そして空想する。
たとえば、2階の保育園の保育士の方々が、園児にもできるエクササイズを知っているのかもしれない。
そして「お遊戯」の時間には保護者も招待し、皆で運動しているのかもしれない。
エッホ、エッホ。
エクササイズを終えると1階の喫茶店に行き、ママさんの
「カフェインには脂肪燃焼作用があるのよ」
「でも砂糖もミルクも入れちゃだめ」
とのお話を聞きながら、ブラックコーヒーを飲むことになるのかもしれない。
そんなママさんの身体つきに対して、
「しかしその割には、随分と重力に忠実でいらっしゃるようで」
と言いたい気持ちを抑えねばならないのかもしれない。
・・・ダメだ。空想では歯が立たない。
全くもってして、「現実」にアクセスできている気がしない。
看板はそこにありありと外在しているのに、内在する真実を手繰り寄せることができない。
「現実」とはかくもあからさまであり、同時にミステリアスなものなのである。
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日々の戯れ言・妄言
Janre:
グルメ
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No.53 :
2012/02/18(Sat) 20:30:32
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カラスの勝手で症
「ねぇ、ちょっとちょっと!」
「・・・」
「ちょっと!」
「・・・」
「ねぇ、そこのカラスさん!」
「うるさい!」
「ハハハ。ごめんごめん。ところで君は・・・」
「・・・」
「メスだな」
「?」
「メスだろ?」
「そうね。あなたがそう思いたいのならそうかもしれないわ」
「君がメスならば・・・」
「何よ」
「カラスのカラ子さん。そう。KARA子さんだな。アハハ」
「時世的に微妙な名前ね。ひどいセンスだわ」
「気に入らない?」
「あまりね」
「それで、ちょっと君に訊きたいことがあるんだけど良いかな?」
▼... Read more ≫
「お断りよ」
「でもその前にさ」
「その前にってどの前よ。私、あなたの質問に答えるだなんてひとことも言ってないわよ」
「さっきから呼びかけていたのに、どうしてすぐに返事してくれなかったのさ」
「答えると言ってないというのに」
「ねぇ、どうして返事してくれなかったの?」
「はいはい…。そんなの決まってるじゃない」
「え?」
「でもどうせあなたにはわからないと思う」
「たくさんの人に話しかけられて面倒で、もう答えないようにしたとか?」
「それはある。でもそれだけじゃない」
「それだけじゃない?」
「そう。で、説明しなきゃダメ?」
「できれば」
「・・・わかった。良いわ。面倒だけど教えてあげる。それは、あなた達人間がね」
「ふむ」
「勝手に私たちと話が通じ合っているつもりになるからよ。私たちカラスだけじゃなく動物全般とね」
「通じ合っているつもりになるってどういうこと?」
「あなた達は最初から『か弱きもの』とか『庇護を求めているもの』とか『呼びかけに応じるもの』とかそういうイメージを作っちゃっていて、あなた達の中のそれと話しているだけなの」
「イメージ」
「そう。イメージよ。しかも今風にいえば『上から目線』で作ったイメージ。私たちをフィルターにしてそのイメージと話しているの」
「フィルター」
「だから私たちが実際に何か言おうが言うまいが、それが本当に理解できるかできないかとか、そんなことはあなた達には関係ないのよ。だからもう話さないことにしたの。そもそも私たちが話さなくても、あなたたちは私たちが何か話していると勘違いするしね」
「う〜ん、わからないなぁ・・・まあ良いや」
「わからないのに一体何が良いっていうのよ。私にこれだけ話させたんだから、ちょっとはその足りない頭で考えてごらんなさいよ」
「それで、えっとさ」
「考える気は無いのね」
「えっと〜」
「何よ」
「何だっけな」
「じれったいわね!何なのよこのトーヘンボク!」
「あと少しで思い出せそうだ。しかしトーヘンボクだなんてもう死語なんじゃないかな」
「ねえ、もう行って良いかしら?!今日は贔屓にしているゴミ置き場の収集日なの」
「収集日?」
「そろそろ行かないとエサを清掃車に全部持って行かれるってこと。カラスの世界にも縄張りってものがあっ」
「思い出した!君に尋ねたかったのはね」
「呆れるわね、人の話を遮るなんて。まるで泉ピン子じゃない」
「どうして君たちカラスは僕たち人間にあまり近付かないんだろう、ってこと」
「『どうして』ですって?!」。
「たとえば・・・、ほら、この鳩」
「鳩」
「僕の横にこんなに寄り添っている。他の鳥だってこの鳩みたいに近付くのもいるよ。でも君たちは近寄って来ない」
「あなたって本当にバカね」
「え?」
「鳥にしては体が大きくてクチバシも大きい。しかも黒くて鳴き声が汚いとか何とか言っちゃって、はじめに私たちを敬遠したのはあなた達の方じゃないの。あなた、一度石を投げられたりエアガンで打たれたり猟銃で撃たれたりしてごらんなさい」
「痛そうだ」
「神の使いだなんて言われたと思ったら、次の瞬間には鳴くだけで不吉なものとして扱われるって経験をしてごらんなさい。『うわ〜…、嫌だなぁ』って顔をされてごらんなさい。自然と人間から距離を取るようになるわよ。いつでも逃げられる準備をするようになるんだから。あなたたちに直接エサをねだらなくなるんだから。でもそれもただの生存戦略の一環で・・・って、ねぇ?聞いてる?」
「お〜、よしよし。この可愛い鳩め」
「やっぱり聞いてない!」
「えっ?いや、その、あの、聞いていたよ。聞いていましたとも。はい」
「本当に?」
「それはその、僕も人間の一人として申し訳無く思う。うん。君たちを邪険にすべきじゃない」
「何馬鹿なこと言ってんのよ」
「え?」
「私はあなたに抗議しているんじゃない。だってそれぐらいのこと、生き物の世界じゃ当たり前でしょ?お互い様なのよ。あなた達何年も地球で暮らしてきたのにまだわかってないの?勝手に思いあがっちゃって、お気楽ですこと」
「君は生き物の世界に詳しいんだ」
「知らないわよ、そんなこと。じゃあもう、本当に行くわね」
「あ、ちょっと待って!」
「何よ。もうお腹が空いていて、しかもあなたの存在のせいで苛立って仕方が無いのよ?」
「今もう一つ思い浮かんだんだけどさ」
「また?!あなたエジソン?!」
「KARA子さんさ」
「結局、私はKARA子なのね」
「たとえばこの鳩みたいに、もっと可愛い声で鳴いてみるとどうだろうか。いや、鳩よりも猫の方が良いか」
「猫ぉ?!」
「そう、猫だよ」
「あのねぇ、あなた」
「何?」
「ちょっとは想像してごらんなさいよ」
「何を?」
「このドス黒くて大きな体、大きなクチバシで『ニャ〜』なんて鳴いている私を想像してみてよ。夕暮れ時にニャーニャー鳴いて飛び交う何十匹ものカラスを想像してみてよ。気味悪いったらありゃしないわよ」
「プフッ!そうかもしれない」
「自分で言っておいて吹き出してどうすんのよ」
「かえって怖いかもしれないね」
「ほらね。だからちょっと間の抜けた声で『カー!』って鳴くぐらいの方がまだバランスが取れるのよ。あなた達の恐怖心や嫌悪、攻撃心を少しは和らげる」
「君は『グァ〜』だけどね」
「クチバシで脳天をカチ割るわよ」
「君ももう少し声が良ければなぁ」
「うるさいわね。これでも海の向こうじゃクロウ(crow)とかレイブン(raven)って呼ばれるのよ。良い響きじゃない?」
「苦労?例文?」
「良いの、何でも無いわ。忘れて」
「でも、猫。うん。猫は良いんじゃないかな」
「・・・」
「可愛いくて・・・」
「可愛くて?」
「可愛くて・・・可愛い。ウフフ」
「あなた、今この上なく気持ち悪い顔してるわよ。それにしても、あなたってつくづくお気楽な人ね」
「えっ?」
「あなた、気付いていないの?猫さんたちはもうそのDNAにインプットされているのよ。可愛く鳴いてりゃ、人間がエサくれるってさ。大事にしてくれるってさ。鳩さんも似たり寄ったりね。あなた達も本当はわかってるじゃない。『猫撫で声』とか『猫を被る』っていうぐらいだからさ」
「そうそう!『虎の威を借る猫』ともいうね」
「それは意味合いが違うし、だいいち虎の威を借るのは猫じゃなく狐よ」
「えっ・・・嘘・・・」
「あなたみたいな人を最近じゃ『おバカ』って呼ぶらしいじゃない。そう呼ぶのって、あなた達の社会的に考えて救いがあるのかますます泥沼化していくのかわかんないわよね」
「狐だったのか・・・」
「それとね、人間が大事にしてくれるといえば、最近じゃクジラさんやイルカさんも上手くやってるわね。海の向こうでは今や彼らも『お犬さま』みたいなものよ。犬公方ならぬクジラ公方を増やして、人間を味方につけたの。味方につけたっていうか人間の方が勝手に入れ込んでいるだけなんだけどね。クジラさんたちは『これ幸い』って、安心して繁殖活動に励んでいるわ」
「でも一口に猫っていっても、色々いるよね」
「猫に話を戻すの?!傍で聞いている人がいれば絶対についてこれないわよ。あなたモテないでしょ?」
「たとえば、ほら。これ」
「どれ?」
「この猫はさ、身体は黒くて色褪せていて、しかも黒目が見えない不気味な目を持っている。おまけにダミ声ときたもんだ。人間に同情を請い、エサをもらって生きている」
「あなたたちが勝手に怖がったり同情したりしているだけだと思うけど」
「それと飼い猫だった頃に避妊手術をされて、しかも捨てられたんだって」
「それで?」
「可哀相じゃないか」
「はいはい、そうね。あなた達人間は良いわねぇ。羨ましいわ。子供を生まなくても、生きる目的を別のことに見出すことができる」
「ん?」
「でもあなた達以外の生き物はどうかしら?後世に遺伝子を残すことだけに全存在をかけているかもしれないわよ」
「?」
「でもあなた達はあなた達の都合だけで犬さんや猫さんたちに避妊手術とかパイプカットなんてしちゃってる。私だったら、とって食われる方がマシかもね。弱肉強食。それは『想定内』のこととして私たちの身体にプログラミングされているから。ホリエモンは元気?」
「知らない」
「でも生殖本能が高まる繁殖期に、行く当てを失った衝動の高まりだけがあるとね、もうわけわかんなくなりそう。特にオスだったらそうね。ただ・・・」
「ただ・・・何?」
「それに情を寄せたり動物愛護運動をしたりするのはおカド違いよ。クジラさんの件もそうだけど、全部あなた達の物差しだけで勝手にやってるだけもの」
「物差し」
「偏愛よ、偏愛。まるでストーカー」
「恋愛を『変愛』と書いちゃう人っているよね」
「エコだとかいう環境問題も同じだけど、初めから動物愛護だとか環境保護だなんていわずに自分たちの衣食住、そう、生活環境のためだって言えば良いのよ。言わないから胡散臭くなるのよ」
「でも『ただ自分たちのためだ』って強調し過ぎることもまた、『自分たちさえ良ければ』が過度に強まりそうだね。う〜ん、そこのバランスが難しい」
「勝手に悩んでなさい」
「ようしゃべるカラスやなぁ…」
「ところであなた、思い出したわよ。この前お友達に『自分は犬の飼い主があまり好きになれない』とか言ってた人ね。どこかで見たことあるなと思ったのよ」
「言ったよ。聞いてたの?」
「深夜の河原で酔っ払って大声で話せば、聞きたくないものも聞こえるってものよ」
「近隣に家は無いから、誰かに迷惑をかけたつもりはない。それに言ったことも覚えているぐらいの酔いだった」
「それは別に良いのよ。それよりもあの時何て言ったのか今思い出せる?」
「飼い犬に何かを指示するためにたとえば『ポチ!』とか『ポチ!○○しなさい!』とか言うなら良いんだよ。感じの良いブリーダーさんたちもたくさんいるということさ。それに僕とは親しくして頂いている人もいる」
「うん。それで?」
「でも他人に見られていることを十分に意識した上で、満面の笑みで飼い犬を可愛がっていたり話しかけ過ぎていたりする飼い主さんたちを見ると、彼らがみすぼらしい自己陶酔と自己顕示欲に浸っているようにしか見えないんだ。犬を利用しているというか、君のことばを借りれば偏愛っていうか。犬のことなんて本当のところは何も分からないのに、通じ合っているように錯覚している」
「ええ。そんなことを言っていたわね」
「うん」
「でもあなたも人のこと言えるのかしら?」
「えっ?」
「あなたは今、そうやって口を開かずに私に話しかけている。こころの中で『念』を送るように私に語りかけている。人の目を気にしながら」
「そう。だって実際に口を開いて話しかければ、たとえばあそこにいるお爺さんなんかは目がテンになるよ。この鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。訝しそうに僕を見るだろうし、僕は恥ずかしい」
「私が言いたいのはそういうことじゃないのよ」
「どういうこと?」
「あなたは私と通じ合っているつもりなのかしら?」
「えっ?」
「でも私はさっきから何も話していないのよ」
「ええっ?!」
「私、最初の方に言ったわよね。『
そもそも私たちが話さなくても、あなたたちは私たちが何か話していると勘違いする
』って」
「まさか君は・・・」
「あなたが私をメスだと思いたいのなら私はメスだって言った意味もおわかり?」
「まさか君は・・・」
「そう」
「幽霊なのか?!」
「違うわ!」
Category:
日々の戯れ言・妄言
Janre:
その他
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No.50 :
2011/02/20(Sun) 22:55:39
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[] by こま
京瑠璃さん、こんにちは。
今回は、お蕎麦の記事ではなかったんですね。
お話しを読んでいるうちに、色々と考えたり思い出したりしてしまいました。
この間TVで「志村動物園」という番組の中で、動物と会話が出来る「ハイジ」という女性が登場した時があって・・・
で、そのハイジが、ブリダーに虐待を受けていたパピヨン(現在は、杉本 彩さんの元で暮らしています。)の小梅ちゃんと会話をして飼い主さんに思いを伝えるという話し。
他にも、我が家の「狛・雷門」との接し方とか、散歩中に「狛・雷門」を異常に恐がる方の反応とか・・
あと、同じカラスでも「怖い」と思う時と「可愛い」・「カッコイイ」と思う事があるのはどうしてなんだろ? とか。
[] by 京瑠璃
こまさん こんばんは
このエントリーは、あまり家にいる時間の無い私がたとえば電車に乗っている際の移動時間等に遊び感覚で携帯に書き込み、それをPC使用に少し拡大したものです。
だから「あはは」「とほほ」「つまんね。半分で読むのを止めちゃったよ」ぐらいの気軽さで良いですぞ。
本文と必ずしも関係があるわけではない(ないわけでもない)私の考えは以下です。
私たちは私たちの認識力と生命維持の必要性を持ってして動植物に接するしかない。
しかしそれと同時に私たちは、動植物が私たちの判断基準や度量衡では計りきれない「わからなさ」=別世界を持っていることを忘れず、それらに一目置かなければならない。上から目線でも下から目線でもなく。
と、シンプルにいえばこの2つです。この2つを常に兼備しておくことです。
だからたとえば何かある小動物を「可愛い」「可哀相」と思うこと自体は別に何も問題なくて、でもその小動物のことを本人も知らぬ間にわかりきった気持ちになってしまっている(人間色に染め上げてしまっている)のであれば、「おいおい、それはどうかな」という話です。
そして自分たちのことでさえまだまだ全然わかっていない私たちですから、人間と動植物のつながりがKARA子さんがいう程ドライな関係なのかどうかもわかりません。
そんなこんなで私は、動植物は完全な余所者とも近親者とも言い切れないような、「わからなさ」=「知りたい」という気持ちを与えてくれるなかなか刺激的な存在だとポジティブに捉えています。
[] by 25¢
はじめまして。
人間色も度が過ぎて、何といってよいのか。
近所では歩いている犬を見かけなくなりました。
服をきてベビーカーに乗っております。
??
カラス、一時期飼っていたことがあるのですが慣れてくると甘えた声で鳴きますよ。
普通は聞けない鳴き声です。
線香花火の儚さと強さ 〜手打蕎麦 じゆうさん〜 vol.1
少し冷え込み始めた11月の半ば、所用があり東京へ。
降り立ったのは、JR東京駅である。
ホームの階段を降りて一つ目の改札へ。この辺りから、自分が動いているのではなく「動かされている」という感覚が強まり始める。関西でいえばJR京都駅や阪急梅田駅、神戸は三宮駅。そこで抱く感覚と同じである。
何せとてつもない数の通行人がバラバラのベクトルを持っていて、しかも足早に交差するのだ。
前後左右、斜め前方と後方、急ストップに急な方向転換。様々な運動体が入り乱れていく。
当然、私は「動かされている」ばかりではない。往々にして人は自分と人ごみを切り離した上でその不快感を語るが、自分も人ごみの一部である(あった)ことを忘れてはいけない。
この東京駅でもまた、私も人を「動かしている」ことを実感させられる。
閑話休題。
この東京駅では東京メトロに乗り換え、池袋駅で下車する。さらに池袋駅で西武電鉄の池袋線に乗り換える。そうして池袋駅から3駅目が、私が降りる東長崎駅だ。
「ふぅ。やっと着いたよ…」
知らない土地で人ごみとなり、知らない電車を何度か乗り換えたせいだろう。本来よりも長く時間がかかったように錯覚し、疲れを感じているのだ。
池袋駅界隈とは打って変わるこの駅界隈の庶民性も、目的地までの何でもない住宅街にさえもヒーリング効果があるように錯覚してしまう。なんと大袈裟な。
さて。駅からは10分か15分歩けば、
手打蕎麦じゆうさん
に到着する。
暗い。ある蕎麦の取り置きを電話でお願いしていたから良かったものの、もしそうしていなければ臨時休業かと心配になる暗さだ。
▼... Read more ≫
目の前の旧十三間道路(現、目白通り)に因む名を持つこの蕎麦屋には、当初は行く予定などなかった。というか、存在さえ知らなかった(だって他所モノだもの)。
こことは別に行きたい蕎麦屋が2、3軒あり、その情報を集め、どの時間帯にどう訪問するかをスケジューリングしていた。
しかし諸々の事情によってそれが急遽不可能となってしまい、取り急ぎこの蕎麦屋を消去法的に選択したというわけだ。
「まあいいか。1日15食限定の手挽きも気になるし」と。
しかしそれにしても、お店の前が本当に暗い。「臨時休業…じゃないよな」「もしかしてまだ準備中?」と少し不安になったし、戸のタイプが見えにくくてどう開けるかを一瞬迷ってしまう。
向かって右側だけでなく、せめて左側も灯して頂ければありがたいなぁ。
心持ち、恐る恐る中に入る。
小奇麗な和の空間だ。そしてジャズが流れている。いわば和モダンなのだけど、どこかに庶民的な風情を残している(後で知ったのだが、以前は出前もしていた街蕎麦屋だったという)。
それにしても椅子の背とクッションをすっぽりと覆う白布が、何だかKKK団を想起させる。
夜営業開始時間から10分ほどが過ぎていたが、先客はいない。従業員も皆厨房にいるようで、まだ私はその存在に気付かれていない。
「(営業…してるよな?!)」
いよいよ不安が大きくなりそうだった時、女将さんらしき方が私に気付く。
「いらっしゃいませ」「どうぞお好きな席へ」との案内は、まるで親しい親戚をもてなすかのような気安さだ。
その気安さに私も
「(良かった。臨時休業でも準備中でもなかったのね)」
との安堵のため息をつく。
頂くものは既に決めていたが、一応お品書きを。
この2枚はごく一部。
本当はもっと多くの冷蕎麦に温蕎麦、肴、清酒、甘味等でそれ相応の充実度を誇っている(興味がおありの方は食べログでどうぞ)。
とはいえ今日の私が注文できるのは、2種類の蕎麦のみ。スケジュールの都合上、呑むわけにもその衝動を誘引する肴を頂くわけにもいかない。
注文したものを待つ間、カウンター席から厨房を見るともなく見る。
女将さんの他に男性が2人、歳を召された方と若い方がいる。おそらく前者がこの蕎麦屋のご主人で、後者が修行中の身の方なのだろう(この日から数週間後、若い方がご主人だったのだと知って驚く。「dancyu」の1月号に顔写真付きで紹介されていたのだ。)。
皆取り立てて急ぐわけでもなく、ピリピリしているわけでもない。ダラけているわけでもない。もちろん殺伐とした空気に包まれているわけでも倦怠感が漂っているわけでもない。
3人が各々の役割を淡々と、あるいは粛々と遂行しているようだ。
ややあって、女将さんが蕎麦を持ってやってくる。
・常陸 十割せいろ
黒殻が交えられていない丸抜きで、実が細かく挽かれた十割蕎麦。蕎麦の名産地として名高い常陸の蕎麦が挽かれていて、山葵や白髪ネギ、蕎麦つゆと共に供される。
食前から、その切り揃えの良さがわかる。私は茹でムラが出なけりゃ気にしないというかむしろ少しだけ不揃いなぐらいの方が好きなのだけど、蕎麦には一家言あるぞといわんばかりの猛者=蕎麦通をひとまず黙らせ、納得させ、魅せるビジュアル的な要素も大事なのはわかっている。
(ちょっとブレました)
ビジュアルはさておき、手繰ってみる。
(…)
噛み進めてみても、これといって印象的な味と香りは放たない。でも啜る際に「スルスルッ」だけではなく「(ビシッ)」という倍音が響いたように錯覚させるものがある。
角が立っているのだ。
しかも水切りが良いし、前述した幅だけではなく長さも揃っている。おまけに、相応のコシもあって喉越しも良い。
そりゃあ倍音も聞こえるさ。
この蕎麦は味や香りを二の次とし、蕎麦に関して世間一般をタテに貫く慣習やヨコに連なる価値基準にどれだけ奉仕できるかで勝負している。
つまり、上に挙げたような主に視覚と触覚にまつわる諸条件をいくつクリアしているのかでその良し悪しが計られる類の蕎麦だ。
視覚・触覚にある程度忠実に蕎麦を打つのは、素人ならまだしもプロである蕎麦屋にとっては、必ずしも「難しいことこの上ない」という程のことではないだろう(多分)。
でもこれだけ漏れがない蕎麦を打つ蕎麦屋となると、もう少し限られてくるのかもしれない。
この十割せいろが残り3分の1程度になる頃、それを見た女将さんが厨房の方に「『田舎』(黒姫手挽きせいろ)をお願いします」と声をかける。
私が注文した蕎麦だ。
しかし私は蕎麦をゆっくりと頂く性質なので、実はこの残量だと次の蕎麦を茹で始めるにはまだ早い。そうかといって急いで食すのも落ち着かないから、マイペースを保つ。
いつものことながら。
案の定、まだ蕎麦が10分の1ほどが残っている段階で次の蕎麦がやってくる。
女将さんごめんなさい。あなたの経験則は間違っていない。ただ私が例外なんだ。
・黒姫 手挽きせいろ
黒殻や赤いへたや甘皮等が交えられ、実が粗く挽かれた田舎蕎麦。1日15食限定だから昼の内に無くなることもあるそうだけど、電話で取り置きをお願いすれば夜営業時に頂くこともできる(私はそうした)。
なお、この蕎麦は蕎麦つゆ、白髪ネギ、辛味大根、そして塩と共に供される。
粗く挽いていることもあってさすがに1本1本の長さは揃っていないけど、やはり切り幅はほぼ均等。
もちろん水切りも良い。角まで立っている。
手繰ってみよう。
(…)
確かに粗く挽かれている実の甘みを感じる。でもさほど強くは感じない。薄いとか淡いのではなく、何かの後方支援に回るというカタチで利いている。
「何か」?
それは黒殻主体の野の趣きに富んだ香ばしさである。
また、野趣は強いけれど、決して野暮ったい濃厚さを有しているわけではない。
噛み進めている段階で野趣は時々「パチパチッ」と軽く弾けるようにして一瞬強まり、また弱まって残り香となるというプロセスを経る。この強まり方と弱まり方は、静謐で儚いながらも我々のこころを打つ夏の線香花火の火花音を思わせるものがある。
さらに噛み進める内に、残り香が少しずつ追い足されていく。そうして飲み込む最終段階において、あくまで品性を保ちながらも濃くなっている野趣の存在に気付かされるのである。
「パチパチッ」「パチパチッ」と弾ける度、少しずつ追い足される野の趣き。
それでも失われない強さを持つ甘み。
「へぇ。こういう響き方をする蕎麦は初めてだな」。
新しい出会いに悦び、舌鼓を打つ。
・
・
蕎麦を一通り食し終え、蕎麦湯割りの蕎麦つゆを頂く。
白濁としたポタージュ系。濃い目のかえしとかつおの旨味が引き立てられていて旨い。
途中、厨房内の若い男性(繰り返すが、後に御主人だとわかった)と女将さんが私のところにやってきて、色々とお話ししてくれる。きっと、彼らがお手隙の際になされるおもてなしの一環なのだ。
私がその時抱いた「まああと一拍遅く、つまり蕎麦湯をもっと味わってから来て頂けるともっとありがたかったけど」との感想は、少し贅沢に過ぎるのかもしれない。
女将さんは比較的楽な物腰で話される。いわく「
『大衆的な』『町場の』蕎麦屋の女将さん
」だそうな。
なるほど。先代までの町蕎麦屋的女将だったと知るまでもなく、その良し悪しを感じ取れる。私は好きだが、この方は、現代のお客さんのボーダーレス&杓子定規&視野狭窄的な接客眼には耐え得ないのかもしれない(とはいえ、ネット上での彼女への評価を読んでいると思わされる。客もまた、成長・成熟しなければならないのだと)。
一方の若い男性は丁寧さと柔和さ、感性的穏やかさ、知性、そして芯の強さを併せ持ってそうな印象。慎重にゆっくりと言葉を選んで話される。
今はまだ様々なことに苦慮し、試行錯誤しておられるのだろう。しかし機が熟せば、今よりも広く深く認知され、慕われ、そして敬意を表されるような、東京の蕎麦界において重要な布置に存する男になるように予感させる佇まいがある。
関東と関西の蕎麦の嗜好の違い、この蕎麦屋の蕎麦つゆの話、私のこの後の行き先に適した電車の話。色々とお話しした。
女将さんと御主人は2人揃って思わぬタイミングでリアクションが無い時があってそれにはちょっと調子を狂わされるが、まあご愛嬌だ。その気になれば、どこまでもお喋りになれる私に任せなされ。
そろそろ出発せねばならなくなり、「ご馳走様でした」と退店する運びになる。
帰路につき、漠然と思いを巡らせる。衝撃的あるいは刺激的なものには出会わなかったが、良い蕎麦屋の良い蕎麦で充実したひとときを過ごせた、と。
でもわかっている。この蕎麦屋でいくつかの肴を摘みながら清酒を呑んでいれば、もっと良いひとときを過ごせたはずだ。そんな悔恨の念もある。
満足感と名残惜しさ。この2つは、再訪欲を掻き立てるような魅力的な蕎麦屋に特有の悩ましさだ。
じゆうさん
は既に素晴らしい蕎麦屋だが、先々はもっと化けるに違いない。
(初訪問、2010年11月)
○ 手打蕎麦 じゆうさん(
公式ブログ
)
住所:東京都中野区江原町3-1-4
営業時間:11:30〜14:30
17:00〜20:30 (LO)
定休日:月曜日(祝日の場合は営業)
電話番号:03-3951-3397
備考:禁煙 駐車場無し
Category:
東京都の蕎麦
Janre:
グルメ
Thread:
No.44 :
2011/01/15(Sat) 01:12:18
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[] by こま
京瑠璃さん、こんばんは。
ペンギンが飛んでいる・・・泳いでいるのって、何処の水族館なんだろう?
品川とか? @_@
「ぽわぁ〜っ。」とした温かいような・物憂げな灯りのお店の玄関(?)は、なんだか好きな雰囲気です♪
女将さんやご主人のお話しを聞いていると、とても魅力的なお店なんだろうななぁ・・・と思いました。
想像するだけで、「ほっこり♪」とするような・気持ちの引き締まるような感じになります。 ^^
きっと「常陸 十割せいろ」よりも「「黒姫 手挽きせいろ」の方が、私の好みかもです。
「黒姫」って、長野の黒姫高原の黒姫なのかなぁ?
KKK団って?
それと最後の写真は、異国ですか? @_@
[寒くなってきましたね] by 京瑠璃
こまさん こんばんは
寒さが本格化してきましたね〜
>ペンギンが飛んでいる・・・泳いでいるのって、何処の水族館なんだろう?
品川とか? @_@
フフ。旭川でも品川でもありません。関西より西にある、世間的には全然有名ではない(はずの)某水族館なんです。
また、もしかするとあの写真は前後の文章内容のレトリック的なものかもしれませんよ。
>女将さんやご主人のお話しを聞いていると、とても魅力的なお店なんだろうななぁ・・・
食べログでの評価やご主人がブログで自身おっしゃっていることから見るに、混雑時の接客に課題を
残すようですね。
でも私は幸運にも終始一人だったので(食べログの東京の蕎麦部門2位の蕎麦屋でこれは幸運ですね)、あの親子の相違点を愉しませて頂きましたよ。
>きっと「常陸 十割せいろ」よりも「「黒姫 手挽きせいろ」の方が、私の好みかもです。
うむ。きっとそうだと思われます。ちなみに、私もです。
>「黒姫」って、長野の黒姫高原の黒姫なのかなぁ?
はい。そうです。
ちなみに私は黒姫産の蕎麦を初めて頂きました。
>KKK団って?
ここでは、ごく控え目にいっても不要な団体ですと申し上げるに留めておきます。
もしあれでしたら、「KKK」で検索してみてください。
>それと最後の写真は、異国ですか? @_@
う〜ん、そうですね〜。
「ローマの落日」とでも題しましょうか。
なんてね。
[] by こま
ザンネンっ!
品川水族館は、ハズレでしたかぁ。 >_<:
実は、旭山動物園が1番最初に思い浮かんだんですけど・・。
長〜〜い間、水族館に行ってないなぁ。 T_T
「混雑時の接客に課題を 残すようですね。」
そぉなんですね。 ^^
そういうトコも素敵だなぁ♪
「接客業だったら、当たり前。」と言う人も少なくないかもしれませんが、常日頃課題にして心がけているのって、やっぱりカッコイイです!
「黒姫」は、正解だったんだ。 >_<v
薬味に「大根おろし」もあったので、そうかなぁ・・・と。
黒姫の近くの「戸隠そば」の特徴の1つだから♪
[] by 京瑠璃
こまさん こんばんは
>長〜〜い間、水族館に行ってないなぁ。 T_T
右に同じ。
あの写真も貰いものですしね。
>「接客業だったら、当たり前。」と言う人も少なくないかもしれませんが、常日頃課題にして心がけているのって、やっぱりカッコイイです!
はは。まあここのご主人にとっては、母上の「町蕎麦屋気質」はジレンマなようで、食べログなんかでもユーザーの母上への指摘が少なくないですが、しかし同系色ばかりでまとまっていないのも良いことだと思われますよね。
こちらとしても「はいはい。○○と同系統ね」って簡単にカテゴライズしなくていい。
>薬味に「大根おろし」もあったので、そうかなぁ・・・と。
黒姫の近くの「戸隠そば」の特徴の1つだから♪
福井と長野の蕎麦の産地は、少なくとも昔は「蕎麦と大根ぐらいしかできね〜よ(米も耕したい・・・)」な事情もあったようで、二つの食材は自ずから身を寄せ合っていったのでしょうね。
[] by エノさん
寒中お見舞い申し上げます。
こちらのお店、名前は存じておりますが・・・
いかんせん東京蕎麦なので・・でも一度お伺いいたしたく。
年末に東京へ行った時、つくづく江戸蕎麦には縁のない人間だと思い知りました。
手挽きも噛みしめると蕎麦の香りが鼻にと下りぬyける様な雰囲気です。
[] by 京瑠璃
エノさん こんばんは
私もまた、江戸蕎麦には縁がありません。
と、これは東京に限った話ではありません。
生活圏に無い蕎麦屋だと何だか、たとえば「神田まつや」「藪そば」と聞かされても、「ふ〜ん」としか思えなくて・・・。
もちろん好機に恵まれれば、今回のようにどこぞに訪問いたします。
でも特に他所の地域を蕎麦の面で羨ましくなるわけでもないこと、つまり関西でも美味しい蕎麦が多々頂けるようになったのは、嬉しいことですよね。
手挽きは、私が頂いたものはどちらかといえばそば殻メインでした。
ただ蕎麦も食べ手も生きものなので、何ともいえないですけどね。
とても美味しかったことには相違ありません。
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします。
・
・
さて。大晦日の京都は大雪だった。
雪に慣れていない典型的な京都っ子である私は近所に買い物に行くもの難儀になる。
車で行くほどの距離じゃないから、徒歩で行く。
でも油断すれば、ツルッと足を持っていかれそうになる。
その都度「むむっ!」とばかりに踏ん張ったせいか、普段は使わない太もも内側の筋肉が少し張ってしまった。
ほうほうの体で何とか辿り着いたスーパーはこんな日でも混み合っていて、それでも自分と売られている商品という2次元にしか目を向けない女性たちに何度もぶつかられそうになった(女性の即興的言語化能力は尊敬するが、あの3次元を持ち得ない2次元感覚にはしばしば困らされる)。
やれやれ。
予報では元旦も翌日も雪が降るとのことだった。
でも実際に大雪だったのは大晦日だけ。
ありがたいね。
おせち料理は、「調味料(アミノ酸等)」という化学調味料入りの出来合いのものを揃えてしまったせいで、食後は舌が痺れてしまった(来年は自分で作ろう)。
でもお雑煮は2番出汁と煮干し出汁、雪塩、柚子皮、薄口醤油をベースに自己流で何とかなってしまった。
「それでおあいこだね」とばかりに呑む、寝正月ならぬ呑正月を送っています。
「!!!」
でも悲しいかな。
明日からもう「社会復帰」しなければならない。
あと少し休めると、英気を充填できるのになぁ。
とほほだよ。
ま、ブログはぼちぼちと更新いたします。
Category:
日々の戯れ言・妄言
Janre:
ライフ
Thread:
No.45 :
2011/01/03(Mon) 22:24:17
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[明けましておめでとうございます。] by こま
大晦日の京都は大雪だったんですね。
大阪の方もかなりの寒さでしたけど、時々粉雪が舞うくらいでした。
寒いのが苦手なので、外出時に雪は降って欲しくない自分ですが、それでも「雪」ってワクワク♪ としちゃいます。 >_<
日記の最初の写真のスゴク素敵で大好きな感じっ!
一昨年・昨年に引き続き、今年もどうぞヨロシクお願いします♪
[] by 京瑠璃
こまさん あけましておめでとうございます
そう、京都市では珍しい大雪でした。
でも京都市でも中心部や南部の方はそんなに降っていなかった模様です。
悔しいな〜。
>それでも「雪」ってワクワク♪ としちゃいます。
ほぅ。白の美しさやしんしんと降る叙情性などが良いんですかね。
いや、ワクワクとなると違うか。
>一昨年・昨年に引き続き、今年もどうぞヨロシクお願いします♪
時が経つのは早いもので・・・と言いたいところですが、こまさんには色々お世話になっておりますから、「まだそんなものか」というのが私の正直な実感ですね。
今年もよろしくお願いいたします。
異郷の地で郷里を謡う蕎麦屋 〜そば 月山〜 vol.1
ようやく気温が下がり始めた9月下旬の週末の夕方。取るに足らない所用を終え、谷町九丁目(谷九)駅界隈へ。
このエリアにどのような謂れがあるのか。よくは知らない。
一度、少しだけ界隈を歩いてみたこともある。しかし谷町筋に沿った南北に寺院が軒を連ねていること、交差点南西側界隈では寺院や幼稚園のすぐ近くにラブホテル街があること(これってどうなのだろう)等、そういった印象しか抱けないようなエリアだった。
谷九のもう少し東側にある上本町(上六)駅界隈と併せ、そのうらぶれ方や陰鬱さや卑しさがどうにも好きになれない。
人も資本も多いから、一見すると活気がある街であるかのように映る。しかし何故だろう。新鮮な空気や風を頑なに拒み続けてきたような澱んだ空気の塊を想起させるものがある。
歳を取り、それなりに時を過ごしてきたからだろうか。どこかの街を歩くと、ある種の「気配」を感じるようになる。
と、本来なら敢えて訪れることもない谷九。その交差点の北東側を北上する。目的地は駅に程近いはず。だからすぐに到着できる。
ほら。
ここは夜営業が17時開始で、1日10食限定の十割蕎麦を供す
そば月山
。
10食だけの限定だからできれば開店直後に伺いたかったし、さりとて自分が居を置かない大阪の店に17時に入店というのはなかなか難しかった。もちろん二八蕎麦には関心が向かないため、たとえば19時以降の訪問には興味がない。
つまるところ、「念願の」といえばちょっと大袈裟なのだけど、「ようやくの」初訪問がかなったというわけだ。
▼... Read more ≫
暖簾をくぐると、まずは短い廊下がある。右手側に打ち場、厨房出入り口と続く廊下は、そのままお客さん用の広間へと連なっている。
広間を始めとする内装は、郷土色が強いながらもシックな作り。さらに照明は落とされ気味で、まずまずムーディーな雰囲気となっている。BGMではクラシックが流されている。初めに流されていたパッヘルベルのカノンはあまりこの雰囲気と合わないような気がするが、その後に流されたチェロ中心の楽曲は相性が良い。
花番さんに案内され、カウンター席へ。その際に花番さんに何か言葉をかけられる。
「本(ワッハッ)板(ハッ)ません(ハッ!)」。
私よりほんの少し先に入店したであろう3人の団体客の笑い声が響き、よく聞こえない。まあ良い。おそらく聞き直す程のことでもないのだろう。
ともあれ、お品書きを見てみる。
蕎麦と一品料理だけで十分過ぎるほどに充実している。しかも一品料理は産地が記されたものが多く、否応無きまでに様々な方面へと食指を動かされる。なるほど。厨房にはご主人始め3人もおられるのだが、それも納得である。
清酒もまた種類が多く、悩ましい。
その他コース料理も充実している。
それにしても悩ましい。この日自分が注文するものは前もってある程度決めてきたつもりだが、それも揺らいでしまう程だ。でもまあ良い。十割蕎麦を食すことだけは確定事項だし、一品料理は花番さんを呼んでから、思い付きで決めれば良い。
そして花番さんを呼ぶ。
私「『大山 封印酒』をグラスの<冷>で。それとこの三元豚(「山形産三元豚のあぶり焼き」)と出汁巻き、山形野菜入りの方(「だし巻き(山形野菜入り)」)と、あと十割蕎麦が夜限定10食で食べられると伺ったのですが、お品書きのどこに?」
花番さん「はい。それはこの『板そば』です。でも今日は店主が手を怪我してしまっていて、お出しできないんです。本当に申し訳ございません」
目の眩むような、にわかに受け入れ難い事実を突きつけられる。よりにもよって、やっとのことで訪問機会を掴んだ私が訪れるこの日に限って、十割蕎麦は一日0食限定となってしまっていた。
おそらく先程の花番さんは「本日は板そばをお出しすることができません」とでも言ってくれていたのだ。
「あ、そうですか。じゃあ、『もりそば』で」
ポーカーフェイスを装い、もりそばを注文し直す。でも言うまでもなく、実際は少なからず失望している。いや、大いに失望している。
そりゃあそうだ。やっとのことでこの蕎麦屋の十割にありつけると思いきや、実際はこれまでほとんど見向きもしなかった二八蕎麦を食すことになるのだから。
「あ〜あ、今日は一体何のためにここに来たのだろう。もう何でも良いや」
破れかぶれになる。
「今・ここ」を満喫することを諦める。
この後、自分が2度に渡って舌鼓を打つことになるなどとは想像すらせずに
。
・
・
・
「板そば」を注文できない不運への失望感をまだ完全には払拭できずにいた頃、眼前に冷えたグラスが用意される。花番さんが、そこに日本酒を注ぐ。ああ、そうだ。自分で注文したのを忘れかけていた。
・大山 封印酒
グラスに並々と注がれていて、アテにはそば豆腐があしらわれている。
この酒に罪はない。そんな程度のドライな心情で一口啜る。
「!」。
唐突に視界が開けたような錯覚に襲われる。
爽やかにして軽やか、しかし深々と広がる旨味(甘み)。鮮やかで眩しい無数のきらめきのような、複数のフルーティー(と形容するほかない)な味わいと香り。その旨味と複数の果実感が「味覚・嗅覚の外」に出ないように、全体を引き締めてくれる適度に利いた辛味。返す波のようにすっと引いていく爽やかな後口。
これは旨い。実に旨い。たった一口で、「板そば」に出会えなかったやるせなさを払拭してくれた。
そればかりかこの酒には、私が液状の飲食物、つまりスープや汁ものやソースやタレやその他飲み物全般に求める理想形としてのエッセンスが全て詰まっている。
・だし巻き(山形野菜入り)
そば豆腐を食し終えてしばらくすると、手に包帯を巻いた男性がこちらにだし巻きを供す。そうか。この人が御主人なのか。
「今日はモロヘイヤ入りです」とのこと。
ひとまず口にしてみる。うん。食感は印象に残らない。でも穏やかな出汁感が良い。味醂が効き過ぎていない点も良い。
モロヘイヤは、その特有の旨味やクセを少しだけ発揮していたが、味わいという点において特別な存在意義は見出だせない。これは「山形野菜」「栄養価が高い(高そう)」というイメージと共に楽しむべきか。
適量の辛味大根と醤油と共に味わうと、良い具合に味が引き締まる。結果、この出汁巻きとしての優等生的で良質な味わいを愉しめる。もちろん酒の肴としてもだ。
・三元豚のあぶり焼き
私は「さんげんとん」とコールしたが、後に花番さんが「さんげんぶたの炙り焼きです」と言った豚の炙り焼き。正しくは「さんげんとん」だと思うがいかに。
三元豚そのものは、まるでしゃぶしゃぶ肉のような、獣臭をまるで放たない仕上がり。口中で徐々に滲透していくような品の良い旨味は、予め振りかけられた塩とブラックペッパーで引き立てられている。
しかしスダチをかけ、なおかつ野菜と共に食すと、肉の存在が霞むことなく、むしろより一層引き立てられる。
美味しい。
酒がドンドン進むという濃い味付けの料理ではないが、どちらもゆっくりしっとりと味わわせる。
三元豚を食し終えて少し経ち、眼前に蕎麦つゆと薬味が供される。
「旨いお酒に出会えただけでも良かった。あとは不運への妥協として、仕方なく二八蕎麦を頂く」。
そう。清酒や2品の料理である程度モチベーションを回復していたとはいえ、この時点ではまだ「仕方ない」との思いが強い。
私より先に入店していた団体客の朗らかな笑い声が聞こえる。それさえも、この心の中では空しく響き渡る。
と、程なくして、「もりそば」が供される。
・もりそば
山形産の蕎麦を中心に打たれた二八蕎麦。粗めに挽かれ打たれているためか、短くなっている箇所もある。
箸で山を崩し、自らに手繰り寄せる。
「あれ?」。
食す前から漂ってくる。これまでに食してきた数多くの旨い蕎麦に共通する、特有の香りが漂ってくる。
何も香り自体が特別に良いわけではない。それどころか、蕎麦の食べ歩きをしない方からすれば単なる匂いでしかないはずだ。
でも多くの蕎麦通・蕎麦好きが経験則として得ているであろう、旨い蕎麦の予兆としての香りがある。
「自分はこの後、この蕎麦を旨いと感じるのか?あまり好まない二八蕎麦なのに?」
少し混乱しつつも、まずは何もつけずに一口。そして二口。
食感は、二八蕎麦といわれて一般的に連想されるであろう蕎麦(細かく挽かれた蕎麦粉と小麦粉)ほどの強
度を誇っていない。喉越しは悪くないが、コシが強いわけではない。
たとえばむしろ、しゅばくの十割蕎麦の方が印象的なコシの強さがある。
しかし角は立っていて、凛とした舌触りがある。
噛み進めていく。何度も何度も噛み進めていく。
そうして、自分の「二八感」を一度リセットしなければならないことを認めざるを得なくなる。味わいが「二八蕎麦としては」という条件を一切要さない立派なものなのだ。
黒殻と甘皮由来の、実の甘さを「死なせない」程度の穀物香があり、同時にその穀物香と拮抗するような実の甘みも立っている。
しかも、小麦の存在を感じない。
いや。
小麦の存在を感じはする。ただしそれは小麦香としてではない。小麦は小麦としての色を消している。
ただ、黒殻交じりの粗挽き蕎麦特有のダイレクトな濃密さを
マイルドな濃密さ
に仕立てているという役割を通じて、存在を感じさせるのである。
ちょうど濃厚なエスプレッソに絶妙の質量で溶け込むホットミルクのように。
これは旨い。そしてそれ以上に、刺激的な味わいだ。
私の中で体系破壊がなされ、再構築に向かっているのがわかる。
かつて
手打ちそば 和
のご主人が私に言ったことがある。
「ツナギとしてではありません。味わいのために小麦粉が必要なんです」
「(私は外二で打ちますが)細切りを二八で打っても構わないと思っています」
熱っぽく語る御主人にふむふむと頷きながらも、内心では首を傾げていた。
「味わいのため?よくわからないけど、もしこの超粗挽き蕎麦が十割ならば、さらに鮮烈な甘みと香りがほとばしるのだろうか。ならば十割で打って欲しいな」とさえ想像し、願った。
でも今ならば、和の御主人がいわんとしたことも少しわかる気がする。
・蕎麦つゆ
辛め。でも蕎麦自体の主張が強いため、それぐらいでなければ抗することができないのかもしれない。
興味深いのは、静かな水面に水滴が落ちて生じる波紋のように旨味が広がっていったこと。この広がり方は初めてだ。
蕎麦つゆを軽視する傾向にある私だが、このつゆの新鮮味と旨味は存分に堪能できる。
その他、薬味の山葵を蕎麦にほんの少しだけ添えて食す。
うん。やはりこれも旨い。
ただ、こ
の蕎麦は何もつけずに頂くのが一番美味しい
。蕎麦つゆも山葵も、箸休めのようなものだ。
団体客の朗らかな笑い声は、そのまま朗らかに響いている。
失望の反動としての悦び。新しさに出会い、それを何とか形容したいという欲望を着火する刺激。
この、重い空気を暗に漂わせる街の「気」を払うには十分だ。
次回訪問時には、やはり今回逃した十割蕎麦である「板そば」を狙う。それは間違いない。
でも、今回頂いた「ざるそば」にかなうかどうかはわからない。
どうであれ、大阪という異郷の地で山形というさらなる異郷の地を謡うことになるのだろう。
自分が全然知らない体系に身を委ねること。あまり知られていないが、これもまた悦楽の一つのあり方なのだ。
(2010年9月、初訪問)
○ そば 月山
住所:(
地図
)
営業時間:11:30〜14:00
17:00〜22:00(ラストオーダー)
定休日:月曜、祝日
電話番号:06-6763-0199
備考:喫煙可(でも蕎麦屋では吸わないでね)
駐車場無し
Category:
大阪府の蕎麦
Janre:
グルメ
Thread:
No.42 :
2010/12/12(Sun) 21:38:00
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COMMENT:4
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[疑問] by 美味・・
素朴な疑問?
店主怪我で板蕎麦が無い・・
では 通常の蕎麦は もう一人の男性が打っている?のかしら。
二八なら打てるが・・十割は難しいのか?
先週 某所で 同じように開店を襲う。限定15食の手挽き蕎麦を注文したら
花番さんが戻ってきて 12月は打たないと、
意味が良くわからないが 食べられないらしい
聞きなおす気もなく 生粋ザルを頼んだが
矢張り 帰ったら良かったと後悔しています。(笑)
次善の策が当たるのは希有な出来事です。
[もしや偶然の産物か] by 京瑠璃
美味・・さん、ご無沙汰しております
>店主怪我で板蕎麦が無い・・
では 通常の蕎麦は もう一人の男性が打っている?のかしら。
二八なら打てるが・・十割は難しいのか?
お、思いつきもしませんでした。
そうか。
もう一人の方が打ったにしろ「せめて二八だけは」と御主人が頑張ったにせよ、私が頂いたものは滅多に頂けない及び偶然の産物だったかも・・。
これからはたとえ二八でも、粗挽きなら「どうせ二八でしょ」を捨ててみよう。
そんな風に思わされた味わいに出会えなかった恐れもありますね。
>限定15食の手挽き蕎麦を注文したら
花番さんが戻ってきて 12月は打たないと、
意味が良くわからないが 食べられないらしい
時代も時代ですから、できればそういう情報はお店の公式HPにでも載せてほしいですよね。
それがないなら新設するなり何なりして。
もしそれが関西の店であれば、間抜けな私が間違ってそこに行かないよう、あとでこっそりとお教えください。
[] by こま
京瑠璃さん、お久しぶりです。 ^^
ただ1つ揺るがない気持ちだった「十割そば(板そば)」は・・・残念でしたねぇ。
私が同じ立場だったら、相方に「コレが食べたくて、お店に来たのに・・・ブツブツ。」と八つ当たりをしてしまうと思います。 >_<:
けど、写真の雰囲気とか京瑠璃さんの表現内容的には、結果はOK!だったのかな?
最後の風景写真とかも・・。
『手打ちそば 和』さんの「味わいのために小麦粉が必要」という事もあるんですね。
[ブラック] by 京瑠璃
こまさん こんばんは
あまり久し振りという気がしないのは気のせいでしょうか(私が歳を取ったのか・・・)
>私が同じ立場だったら、相方に「コレが食べたくて、お店に来たのに・・・ブツブツ。」と八つ当たりをしてしまうと思います。 >_<:
ねぇ。
でもすぐ近くに従業員がいるから、ちょっと難しいですよ。
>けど、写真の雰囲気とか京瑠璃さんの表現内容的には、結果はOK!だったのかな?
ええ。美味しかったですしね。
それに今後は粗挽きの二八ならば目を向けてみることにしましたから、むしろ選択肢が増えて良かったです。
もし「板そば」があれば、「もりそば」の方を頂くことはなかったでしょうね。
災い転じて福となす。
>『手打ちそば 和』さんの「味わいのために小麦粉が必要」という事もあるんですね。
「ああ、そういうことだったのか!」とばかりに目から鱗、勉強になりました。
ちなみにコーヒーを喩えに出しましたが、私は未だブラック一辺倒です。
昔「このミルクの加減は良いな」というコーヒーに出会ったことはあるのでは、自分では再現できずじまいなので。
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