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暴れる甘みと香りよ ~手打そば 和~ vol.1 

大阪府柏原市。
その歴史は古く、河内国分寺跡や大坂夏の陣古戦場跡などで知られる。歴史好きの人にとっては、素通りできない地域の一つなのかもしれない。歴史書や小説、ドラマ、映画、ゲーム等で形成されたひいきの武将のイメージを媒介とし、思いを馳せるのだろうか。
でも私がここに行く理由は、今のところたった一つしかない。息も絶え絶えな商店街の最中を通るのはたった一つの動機によるものでしかない。

手打ち蕎麦 和 店先 手打ち蕎麦 和 店前2

手打そば 和
この蕎麦屋は駅前大正通り商店街の最中、もといJRの駅からは徒歩で5分も要さない位置にある。




手打ち蕎麦 和 店内2-1 手打ち蕎麦 和 店内3-1
手打ち蕎麦 和 店内1 手打ち蕎麦 和 店内4            

入店してすぐ右手側には壁があり、足元には手挽き用石臼が一つある。正面には以前はカウンター席であっただろうテーブルがあり、そこには販売用の醤油やフリーペーパーのようなものや親交のある蕎麦屋のショップカード等が並べられている。左手側から奥にかけて4人掛けテーブル席が3つと2人掛けテーブルが一つある。

私が撮った写真ではわかりにくいかもしれないが、この蕎麦屋は本格蕎麦屋としての色香に著しく欠いている。

本格蕎麦屋というものには、おおよそ3つに大別できる。和の奥ゆかしい装いに身を包んだ蕎麦屋、または和にモダンと呼ばれる海の向こうから渡ってきた西洋の服飾や装飾品を組み合わせた蕎麦屋、あるいはほぼ完全に西洋の装いに身を包んだ蕎麦屋。この辺りだろう。
しかしこの蕎麦屋は、そのいずれでもない。言い換えると、いずれにもなり切れずにいる。
暖簾や装飾品にこそ色使いやユニークさへの配慮が見られるものの、内装・外装に関しては共にあまり配慮がなされていない(そこまで手を回す時間的・資金的な余裕がないというのが実情だそうだけど)。
空間的な広さにも欠けるし、BGMだって流れていない。聞こえてくるのは、ご主人が調理する際に発せられる音や換気扇の音が厨房から聞こえるのみ。「カツカツ!」「バタン!」「ブォ~ン」
アクセサリーや靴、あるいは腕時計等の「部分」は小ジャレているけど、それらの「全体」もしくはベースとなるはずの肝心の衣服はスーパーの特売品。そんな人に似た印象を抱かされる雰囲気を醸している。
そう。外見が大衆蕎麦屋的なのである。

            手打ち蕎麦 和 店内5

しかし困ったものだ。
これならば、いっそ中身も大衆蕎麦屋的、つまり完全に大衆蕎麦屋であれば良かったのだ。「700円や800円までであなたのお腹を満足させます(その代わり、味やサービスについて細かいことは言いっこなしね)」という蕎麦を出す店ならば良かったのだ。それならば、普段から大衆蕎麦屋に行かない私が、ましてや京都から柏原市くんだりまで行くこともなかったはずだ。2度も訪れることもなかっただろうし、「3度目はいつになるだろう」と考えると心が躍ってしまう今もなかったはずだ。
しかし残念なことに、ここは大衆蕎麦屋ではない。もっと残念なことに、「蕎麦だけは本格的」という程度のフレーズでも収まり切らない。蕎麦の味わいが好きな人たち、とりわけ粗挽き蕎麦好きにとっては堪らない蕎麦がある。
やれやれ…。

ざっとお品書きに目を通してみよう。

手打ち蕎麦 和 お品書き3 手打ち蕎麦 和 お品書き4-1

個人的は2つのことが気になってしまう。普通の蕎麦と「つけめん」はどう違うのか。暮坪かぶで蕎麦を食すとどんなものなのか。ご主人とはいつも他の話をしてしまうせいで、ついぞ聞きそびれてしまうのだが。
また、他の人からすれば、一品料理が大して充実していなさそうに見えることの方が気になるかもしれない。お品書きに書かれているのは4つしかも3種類だけだ。
ただし、どうやら「気まぐれ一品」を常時少なくとも2種類以上は用意されている模様。なるほど。「今日は何が用意されているのか」と予想する楽しみがあるのだろう。

それでは、蕎麦を始めとする「困った」料理に触れていこう。

・河内鴨焼き(小)

3種の鴨肉が、おろし醤油と山椒と共に供される。

手打ち蕎麦 和 河内鴨焼き

ロース肉は白身の柔らかさと赤身の少しの硬さのちょっとしたギャップを愉しめる食感を持ち、なおかつ2種の旨味がある。白身からは包み込むような淡い甘みにも似た旨味が滲み出る一方、赤身には穏やかでいて抑制的でもある温恭な旨味が秘められている。
ご主人が案内される通りに塩と山椒をミックスしたものをつけて頂くも良し。おろし醤油でも良し。
また、これで一献傾けるのも乙だろう。
たとえばこんな風に。

手打ち蕎麦 和 純米酒(小とっくり)
「いずれは『宴瑠璃』に改名すべきか…」


3つの銘柄を紹介して頂いた後、選択したのは一番バランスの良さそうなもの。
一口飲み、その軽い口あたりと甘さと辛さが同時に染み渡っていく様に舌鼓を打つ。
旨い。
そうして肩の力を抜き、静かに息を吐く。少し姿勢を崩し、周りを眺めてみる。静かなる高揚を噛み締める。呑んでいる際に、最も幸福になり得る瞬間が今まさにここに来ようとしている。
(…)
でも、残念。既(すんで)の所でお預けを食らってしまった。陶酔感に浸るには、この蕎麦屋の内装では現実的過ぎるのである。

なお、「河内鴨焼き」を注文したお客さんのみ、ある裏メニューを注文することができる。ご主人は裏メニューという程のものではないと恐縮されるが、お品書きに書かれていない以上それは「裏」である。
鴨を焼いて出てくる脂で炒められた「焼き飯」だ。

手打ち蕎麦 和 焼き飯

量としてはご飯一膳分で、山椒やしいたけと共に炒められている。
米の甘みの背景に油脂の丸っこい旨味が広がっているようなその味わいは、どこかバターライスを想起させる味わいだ。200円でこれが頂けるのだから上等である。
なお、添えられている海苔で焼き飯と鴨肉を包んでいただいてみるのも乙である。


河内鴨焼きは単純に旨い。焼き飯もちょっと嬉しい一品だ。酒だって呑める。
でも、あくまで前座か二つ目に過ぎない。いや。これが並の本格蕎麦屋で出されるならば、もしかすると真打ちたる蕎麦を「食ってしまう」美味しさはある。しかしここでは、蕎麦類が真打ちの座を守っている。

・手挽きそばがき

黒殻も混入された、手挽きの蕎麦掻。
粗めに挽かれた蕎麦の粒が大小入り混じっている。

手打ち蕎麦 和 手挽きそばがき1

口に運び、噛んでみる。
「(シャリ、シャリ)」
口中でそんな音が立っているのがわかる。
でもその音を認知するや否や、ある「別の音」が聞こえ始める。否。厳密に言えば、「別の音」など聞こえない。シャリシャリ音以外は何も聞こえない。
でも何かが弾け飛んでいるのがわかる。それはあちらこちらで同時多発的に小爆発を起こしている。音を立てずに音を立てている。
「(ボンッ!)」「(パンッ!)」。
何かが一挙に広がっていく。爆風でも火でも煙でもない何かが瞬時に立ち込めていく。
凄い。
強烈なまでに野趣に富んだ穀物的香り、蕎麦の内側の実由来の香りと甘み。
それらは口中・鼻腔狭しとばかりに一気に広がり、なおかつその濃度を増し続けていく。
弾け飛び続ける。

・ざるそば(細打ち、または細切り)

お品書きには書かれていないが、ざるそばを注文すると太と細のいずれかの選択を迫られる。
こちらはその細い方で、鳥取は大山参のものが外二で打たれた粗挽き蕎麦である。

手打ち蕎麦 和 ざるそば(細打ち)-1

なお、昨年秋は福井産の蕎麦が不作であったため、しばらくはご主人との交流が深い『摂河泉』(せっかせん、大阪狭山市)の蕎麦と同じ大山産の蕎麦になるそうだ。

この粗挽き蕎麦、噛めば「粒を噛んだ」と意識させられる程に粗く挽かれている。そしてそう感じるごとに、粒からの甘みが四方八方へと弾け飛ぶのがわかる。上の手挽きそばがき程ではないけれど、それでも
甘みの爆発力の強さと浸透力の早さが、他の細切り蕎麦に類を見ない程に凄まじい。
野趣に富んだ穀物的な香りもあるにはあるのだけど、それさえもこの強く早い甘みに包摂されてしまう程だ。

手打ち蕎麦 和 ざるそば(細打ち)2-1

甘みの爆発力の強さと浸透力の早さ。この蕎麦屋の蕎麦類を貫徹するファクターであり、同時に他の蕎麦屋にはそうは見られない(少なくとも私は知らない)ファクターでもある。
もちろん単純に甘みの爆発力の強さと浸透力の早さだけに限定すれば、先述した手挽きそばがきや後述する太打ち(太切り)の方が勝る。
ついでにいえば、ご主人はこの細切りに関して「太切りを食べやすくしただけであって、大した思い入れはない」といった趣旨のことさえ述べられる。このサイズであれば、丸抜きで供すことすら考えておられるそうな。
しかし、なかなかどうして。この蕎麦だって相当なものだ。

まず我々が食べ慣れているサイズ、つまり他の蕎麦屋の蕎麦切りとほぼ同じ「ハコ」で食すことによって、その差異がわかって良い。
また、手挽きそばがきや太打ち(太切り)よりも洗練されたカタチで甘みが爆発し、浸透するとも感じる。弱いのではなく洗練されているのだ、と。
それに、啜ることに蕎麦の醍醐味を見い出している人たちからすれば、やはり最低限啜ることできるのが保証されている方が良いだろう。

ご主人にとっては皮肉なことに、大した思い入れがないはずの細打ち(細切り)の方が後述する太打ち(太切り)よりもお客さん受けが良い。したがって、細と太のいずれが好みかと問われれば私は答えに窮すけど、お勧めはいずれかと問われれば迷わずに「細」と答えられる。

・太打ち(太切り)

お品書きには書かれていないが、ざるそばを注文すると太い蕎麦か細い蕎麦のいずれかの選択を迫られる。
こちらはその太い方で、鳥取は大山参のものが九一で打たれた粗挽き蕎麦である。

でもこの太打ち(太切り)に関しては、次のようにもいえる。
一応は蕎麦切りという形象を借りているが、その実態はとにかく味わいと香りのみに特化された何ものか。もしくは、蕎麦の実が蕎麦切りとなるために超えなければならない最後のラインをまたがっている食べ物。
「これは蕎麦か否か?」との問いに対し、私は肯定も否定もしかねる。「僕としては太切りがイチオシなのですが…」と、必ずしも良くはないお客さん受けに気を病むご主人に大したレスポンスも返せない。

手打ち蕎麦 和 ざるそば(太打ち)-5

いうまでもなく、この太打ち(太切り)は切り幅が大きい。そして固茹での状態で供される。
だから啜りにくくて、喉越しも悪い。というよりも、啜ることや喉越し云々は始めから遺棄されている。
口に入れてから飲み込むまでには、何度もしっかりと噛み込まなければならない。
この時点でアウトとされる方々や「これは蕎麦じゃない」と断ずる方々がおられるのも必定なのかもしれない。

でも私はこの太打ち(太切り)を2度の訪問中2度とも頂いている。これが蕎麦か否かなんて、関係ないとも思っている。
弾け跳ぶ甘みと柔らかい穀物香が細切り以上に凄まじいのはもちろんのこと、噛んでいる間中ずっと甘みが弾け飛んでいるからだ。
これが、若い人風にいえば「パねぇ」(半端じゃない)し「ヤベぇ」のである。

手打ち蕎麦 和 ざるそば(太打ち 半盛り)2-1

もちろん、ただ単に蕎麦の甘みや香りが強ければ強いほど良いというわけではない。決して、それだけではない。
甘みと香りがどのように口中・鼻孔に伝わってくるか。むしろそれの方が肝要だ。
だから気鋭の蕎麦屋さんたちは、蕎麦の切り幅や切り揃え、長さ、茹で具合等に日々苦心している(どんな結果が出ているかというのは別だけど)。

でもこの太打ち(太切り)は、さも「蕎麦の甘みや香りが強ければ強いほど良い。それ以外はわからん」といわんばかりの荒々しい剛速球を投げてくる。変化球はあまり投げないしコントロールもさほど良いわけではないけど、それでも球界一のスピードを誇る剛速球を投げてくる。そんなピッチャーに似た魅力がある。
だからであろうか。「啜りにくくて喉越しが悪い。やたらと噛まねばならない…」というネガに眉をひそめるのではなく、というかそんなネガを感じることもなく「弾け飛ぶ甘みをずっと噛み締めていられる!」というポジに魅入られてしまう。ただその強烈さだけに陶酔したいがために、中毒患者のごとく手を出してしまう。一、二本ずつを慈しみつつ、堪能してしまう。
かくして、この太打ち(太切り)が蕎麦が否かなどはどうでも良くなってしまうのである。

私は大好き。でもあまり多くの人にはお勧めできないこの太打ち(太切り)。でもいつもと違う食し方や味わい方にシフトチェンジできる自信のある方にだけお勧めしたい。
弾け出るような強烈な甘みを、ずっと噛んで味わってみてください」という言葉を添えつつも。

・蕎麦つゆ、山葵、塩で蕎麦を食す

何といっても蕎麦そのものの味・香りが濃いため、どれで食べても旨い。蕎麦の魅力を損ねてしまうものはなく、蕎麦を引き立てるとも蕎麦に引き立てられているとも感じる。

蕎麦つゆは「甘い」と「辛い」の中間領域。濃度はさほど濃くない。
甘いつゆを好まないが、辛ければ良いってものでもない私には丁度良い塩梅である。
醤油の旨味も出汁の魚介類の旨味も綺麗。
これは美味。

山葵は、鮮度に欠くわけではないが、辛みが立ち気味。それでも、蕎麦や蕎麦掻との相性は抜群であった。
なお、この手の辛い薬味は、まずはほんの少しだけ蕎麦につけるのがお勧めだ。その後に食べ手各自の好みの量を加えれば良いし。

卓上に置かれた紅塩もまた、まずはほんの少しだけ蕎麦にまぶしてほしい。
そうして、この店の蕎麦の豊潤な穀物的香りと蕎麦本来の甘みが、シンプルにして最大限に引き立てられる変化を愉しむことができる。

蕎麦をそのまま食べても素晴らしいし、この3つのいずれかと食してもまた旨い。眼前の蕎麦はあっという間になくなっていく。

・ご主人「後で(石臼を)挽いてみます?」

このお方。やや伏し目がちで妙に寂しそうに見えることもあるが、とても礼儀正しい人である。
そして何といってもよく喋る。本当によく喋る。
基本的にどのお客さんにも等しく目を配られるが、蕎麦通・蕎麦好きに対してはなおさらよく喋る。
飲食店では基本的にあまりお店の人と喋らないようにしている私も、元来の喋り好きが引き出されてしまうほどだ。

カピバラ

蕎麦の話全般に関しては止まらないし、この店の話ならば「そ、そんなに情報開示していいですか?!」と逆にこちらが心配になる程に開けっぴろげ。その他諸々、誰かを悪く言う話は一切無かったにもかかわらず、モザイクやピー音なしでは到底「放映」できない内容が目白押しだ。
そしては極めつけは、これである。

「後で(石臼を)挽いてみます?」

出た。あるいは、ついにきた。
私は知っている。これは好意のようでいて、そうではないことを。紛れもなくこれは、食べ手を打ち手の世界へと誘う悪魔のウィスパーであることを。
私は知っている。その「犠牲者」がいることを。

果たして、蕎麦の挽き方に関して驚くほど丁寧にお教え頂いた。この店の石臼がどんな石臼で、自分はどういう風に挽いているのか。仔細に渡り、それはもう蕎麦屋主催の蕎麦打ち教室でもここまで自店の情報を開示しないだろうと思わされるほど。
残念ながらここでその詳細をお話しすることはできない。しかし軽く仄めかすのであれば、臼の石質と上臼の重さ、上臼裏面の目立て。それらと自らの打ちたい粗挽き蕎麦を踏まえた上での手挽きで石臼を回す速度と蕎麦の実の投入量。それらに関することが中心であった。
「手挽き粗挽き蕎麦は全て、ゆっくり回して挽かれるものだと思っていた」。
こんな具合に、概念を覆されたというか。
もっとも、これが初めての石臼体験であった私には全然上手くできなかったのは言うまでもない。しかしそれにしても楽しかった。写真を撮るのも忘れてしまった程である。

castle.jpg

装いはイマイチ。この蕎麦屋で情感を浮かべてしんみりとするのは難しいだろう。
蕎麦はピカイチ。何せ味や香りが弾け飛ぶのだから。
商才には乏しそうだけど、そしてどこか不器用そうだけど、お客さんと蕎麦に真摯な姿勢で臨み、しかも蕎麦のことになると話が止まらないご主人もいる。他にお客さんがいなければ、石臼だって挽かせてくれる。

何ともスキャンダラスで、楽しい蕎麦屋なのだ。常連さんにだって思うところや言いたいことがあるような蕎麦屋だろうけど、それでも来たくなるような蕎麦屋なのだ。
かくいう私にとっても、何だこうだいっても、今のところ大阪における1stオプションの蕎麦屋である。

(最終訪問、2010年4月)

○ 手打そば 和

住所:大阪府柏原市大正1-6-33 (地図
営業時間:11:30~14:30 18:00~20:30
定休日:月曜
電話番号:072-971-6036
備考:禁煙
    駐車場は無いが、ただしコインパーキング代をお店側が負担
    14時半以降でも蕎麦が余っていれば入店可能…かも
   (何も保証はできない単なる私の推測ですが、そういうお客さんを見たのは事実
   です)


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COMMENT

先生も反省を!
どうにかして ヌキミで 打ってもらえる様
毎回 お願いしていたが 今は 諦めました。(笑)

自分の好きなタイプの蕎麦は 自分で打つ
なかなか探せていないから・・
確かに 犠牲者ではあるが 生徒です。

技術的に素人でも 石臼で粉を作れば
技術的に玄人の蕎麦屋に勝てる蕎麦も望めます
玄人が 何故 製粉しないかは 蕎麦の美味しい味を知らないからと、言うわけでもない。

拘らない蕎麦屋ではなく 間違った拘りの店でもなく
拘れない本格蕎麦屋さんです。

全く蕎麦屋の風情が無くても
蕎麦らしき蕎麦(太)が売りであっても
店主の人生を全部受け止めたとしても

飲食店としての店と 経営を 見直さないとと、
何時も帰りに思うんです。

それとなく 甘汁に包んで 伝えているんですが・・・

2010/05/17(月) 18:29:57 | URL | 犠牲者 #phHF4o9M [Edit]
長いお喋りになってしまい…
辛汁さん、こんばんは。
2度続けて変な呼称でごめんなさい。

>技術的に玄人の蕎麦屋に勝てる蕎麦も望めます
玄人が 何故 製粉しないかは 蕎麦の美味しい味を知らないからと、言うわけでもない。

蕎麦屋で粗挽き蕎麦を突き詰めれば突き詰める程、決して少なくないお客さんからの「コシ、喉越しが足りん」の声が多く大きくなるでしょう。
あるいはその反対で、たとえば食べログの口コミを読んでも、「え?その蕎麦を食べておいてコシと喉越しだけを褒める?」「だったらわざわざ蕎麦なんて食べなくても、もっとコシや喉越しを期待できてしかも安い饂飩やつけ麺で良いのでは?」と思わされることが度々あります。
それらが何を意味するかといえば、単にお客さんの声に押されて蕎麦屋側が「コシ・喉越し」方面に妥協するというだけではなく、蕎麦屋側つまり打ち手の方もその嗜好を共有していることが少なくないことだと思うんですよね。
十割や粗挽き蕎麦がメインの蕎麦屋であってもそうで、「もっとコシ・喉越しを!」の声がどこか気にかかるのでしょう。

フランス語には味を表現することばが7つあり、日本語には5つあるとどこかで聞いたことがあります。
まあ厳密に言えば7つ、5つ以上の表現があるのでしょうが、そこは割愛しましょう。
ここで注目したいのは、フランス人の方が先天的(人種・民族的に)に敏感な味覚を持つのではなく、既に存在することばによって後天的に導かれた味覚を多く持つということです。
それはちょうど我々が粉雪や牡丹雪、ささめ雪等のことばを知っているからこそ雪を様々な形で知覚できるのに対し、「雪」ということばしか有さない言語圏の人々は雪をただ「雪」と知覚するに留まるのに似ています。
味覚とは、我々が思っている以上にことばが幅を利かせる感覚器官であるようです。

日本の蕎麦及び他の麺類の場合、「コシ、喉越し」ということばが後天的な味覚となり、随分と久しい。
もちろん先天的に、つまり身体そのものが美味しいと判断している部分もあるからこそ、「コシ、喉越し」ということば=後天的な味覚がそこに合致し、生き続けているのでしょう。
つまり、ことばに踊らされているのではないはずです。
でもことばによって導かれている部分が大きいのも否めそうにありません。
先天性と後天性がマッチし、「コシ・喉越し」の存在感が大きい「美味しい味」が形成されています。
それは上で引用させていただいた辛汁さんの「蕎麦の美味しい味」とは異なる美味しさなのでしょう。
どれが正しくてどれが間違っているという狭量な話ではなく、それが事実としてあるということです。

でも!
私は辛汁さんのおっしゃる(いわんとされる)「蕎麦の美味しい味」の方に惹かれます。
というか、何の気なしに訪れた「かね井」のそれに惹かれて蕎麦の食べ歩きを始めるに至りました。
だから、蕎麦そのものの甘みや香りを形容・描写するためのことばが「コシ・喉越し」に大きく遅れを取っている現状が、つまらないんですよね。

もちろん良いんですよ、別に。コシ・喉越し中心の人たちが多いのは。
しかしそれにしても、打ち手や食べ手(書き手)に味・香りを中心に美味しさを知覚させるためのことばがまだ足りない(特に食べ手)。
「コシ」「喉越し」以外には主だったことばを持たない食べ手は、それこそ雪を「雪」としか知覚できない言語圏の人のように、せっかくの蕎麦そのものの味や香りを味わっても「コシ・喉越し」でしか美味しさを計り得ない。
これでは饂飩でもラーメンでもつけ麺でもない、他ならぬ蕎麦を食べている意味の半分を失っているようにも思えます。

とはいえ、今我々は長い過渡期にいるのだとも考えております。
たとえ未だ「コシ・喉越し」程に人々に浸透したことば=美味しさがないにしても、味や香りを中心に美味しさを求める打ち手も食べ手も徐々に増えているのではないか、と。
蕎麦を食べ、誰かの書いたものを拝読させて頂き、その胎動を感じます。
その内「これだ!」と思えるようなことばを誰かが使い始め、気がつけばそれが伝播している状況に置かれるはず。
そのことばはやがて味や香りを知覚・認知するための「器官」となり、今はまだコシと喉越しにしか触れない人たちの中にも、それらと対等に味と香りについての感想を併記するようになるかもしれません。
ことばによって、味・香り至上主義へと導かれる人たちもいるでしょう。

>飲食店としての店と 経営を 見直さないとと、
 何時も帰りに思うんです。
 それとなく 甘汁に包んで 伝えているんですが・・・

あはは。
ご主人は辛汁さんの「言いたいことはたくさんある」を蕎麦に関してのみのお話だと解釈しておられるようでした。

私が思うに、あの人は一つのことにだけ秀でた職人さん及びマニア。
おそらく蕎麦屋としての艶っぽさや色気に関する情熱・センスはあまり(ほとんど、かも)持ち合わせておらず、その代わりに蕎麦への情熱とセンスが人一倍。
そんな方だとお見受けしております。
だからたとえば「このお金をあげるから、好きなところに移転して好きな装いにしなさい」といわれても、あまり素敵な蕎麦屋を作るには至らなさそうな…。

つまるところ、早く結婚して雰囲気の良い蕎麦屋をプロデュースできる奥さんをもらいなさいということでしょうか。
2010/05/18(火) 20:33:36 | URL | 京瑠璃 #3KrfhFaQ [Edit]
今晩は、頂いたコメントにご返事する前にお伺いしました。御免なさい。

人間には性分という物があるのでしょうね。
自分の理想とそれを生業とすることがどこかで反比例してしまうのです。
私は食べるだけの人間なので、その奥底までは解りません。難しいことなのだとは思います。。。
2010/05/19(水) 23:04:24 | URL | エノさん #- [Edit]
エノさん、こんばんは

>自分の理想とそれを生業とすることがどこかで反比例してしまうのです。

確かにそうですね。
未知なるものに惹かれ、突き進んでいくことは、時に他者を不安にさせますから。
不安とまではいわないにしても、落ち着かなかったりしっくりとこなかかったり。

自らを引きつけて止まない未知を掘り進める行為で、他者の持つ別の未知を共振させることができる人は、いわゆる「天才」と呼ばれる稀有な人ですね。
2010/05/24(月) 22:37:37 | URL | 京瑠璃 #3KrfhFaQ [Edit]

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蕎麦、中華そば、側(そば。つまり私たちの身近にあるもの)等、ソバ全般に関して。

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