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西陣の地で理論を紡ぐ蕎麦屋 ~蕎麦屋 にこら~ vol.1 


西陣。
正式な行政区分ではないが、京友禅と並ぶ京都の織物産業の一つである西陣織でその名を広く知られる地である。
京町屋と呼ばれる建築様式を持つ町屋もまた、新旧入り混じって多く現存している。

京町屋 お商売用2  京町屋 朱2

私としては、新しいというか商売仕様に改装されたり新築されたピカピカの町屋には関心が持てない。ある種の流行としての京町屋は、「京都らしさ」の過剰な演出があり、古きを装っているだけにしか見えない。
でも、「ただそこにあったし、今もそこにある」という佇まいを持つ本当に古い町屋を見て歩くのは一興だ。

見るものと住むものに間に立たされる昨今にあって、今は朽ち行く憂いを醸している数々の町屋は、死して葬られるものと死してモニュメント化されるものに隔てられる。
そんな運命を辿るのだろうか。

さて。
さほど広くはないこの西陣。しかし京都でも指折りの蕎麦屋が二軒ある。
一軒は手打ち蕎麦かね井
そしてもう一軒は、今回取り上げる蕎麦屋 にこらである。

蕎麦屋 にこら  店先

記憶が定かではないが、おそらく4度目の訪問だ。




「ミシュランガイド 京都・大阪版」で一つ星を獲得したことも記憶に新しい*この蕎麦屋。メディアへの露出度が高く、京都のグルメ情報全般に関心のあるものならば一度はその名を耳にしたことがあるかもしれない。

*<情報誌や食べログのようなグルメサイト、個人のHP・ブログ、大手プロバイダーの掲示板。有り余る程の情報・評価を見聞きできるこの時代にあって、ミシュランはかつてヨーロッパで得た程の権威、あるいはその評価の信憑性や妥当性を持ち得ないかもしれないけど。

私としてはそれよりも、かね井とにこらの共通点と相違点が面白い。差異がただの差異ではなく、好対照を成す差異だからだ。それは後ほど、折に触れて述べていくことになる。

暖簾をくぐると、店内は(当然だが)いつも通りのレイアウトだ。
左手手前側から奥側にかけてがカウンター席で、右側が4人掛けテーブルが3つ。3つのテーブルそれぞれの壁側にはニコラ・ド・スタールの絵画がディスプレイされている。
カウンター席左半分の席に座ると厨房を臨み、右半分だと打ち場を臨むカタチとなる。カウンター席と厨房の間の間仕切り壁は、座している状態のお客さんの目線からタテに60~70cmほど空けられているけれど、数々の銘柄の一升瓶があるため、お互いに見え過ぎないようになっている。
突き当たりはガラス張りになっており、外側は坪庭とオープンテラスを兼ねた小さなスペースがある。
また基本的に室内照明は落とされ気味で、ダウンライトや自然光に頼ったムーディーな空間が演出されている。

蕎麦屋 にこら 店内1

内装は、一言でいえば「おニューな町屋」。あるいは和モダンか京モダンでも良い。当然ジャズも流れている。
良く言えば清潔感があって清清しいお洒落な空間だし、悪く言えばもはやベタなお商売的町屋といったところだろう。「素敵ね」とおっっしゃる方もいれば、私のように「ここもか…」と食傷気味な方もおられるということである。

ご主人はかつて経営コンサルティングをされていたそうで、実際大そう理論的なお方だそうだ。なるほど。でももしこれを知らずとも、店内を見渡しその空気に「理論の実践」を感じる方々もおられると思う。
どうすればお客さんを呼べるのか。そこから逆算され、数々の事例から帰納された理が至るところに演繹されているように感じられる。

もちろん理論だけならず、感性も大事にされているとのことだ。そう。感性が無ければ思考も理論化も不可能だろう。評判の良い数々の創作料理もまた、感性がベースとなっているはずだ。
それでもなお、この店には眉間にしわを寄せつつ出されるような理論色の方が濃いように感じられる。言語化・理論化を抑制し、なおかつ肩の力を抜き続けて初めて出される感性色の濃さを持つかね井とは、ちょうど対を成しているように思える。

お品書きは月ごとに変えられる。

       蕎麦屋 にこら 長月の献立

蕎麦屋 にこら 長月の献立(一品物) 蕎麦屋 にこら お飲物

蕎麦や一品物、そしてアルコール類の充実度は他の蕎麦屋の追随を許さない。でも重箱の隅を突付くとすれば、蕎麦屋の(「関西の蕎麦屋の」という限定性が必要だろうか)定番料理でもある出汁巻きとにしん料理が、ここではレギュラーメニューとして供されていないことが少し気になる。
当然創作料理がこれ程充実しているのだから、それらの不在を補ってあまりあるのは確かだ。他の蕎麦屋との差別化を図るべく、意識的に回避されたのかもしれない。でも定番も充実させることで、体幹部が強化された身体の動作の如く、軸の安定感を感じさせるであろう。

さて。料理を待つ間は何をすべきか。ここで流れる時・空間に心身を委ねられない私は「献立」の裏側に書かれた蕎麦に関する説明を読むことにしている。

・茨城は常陸産の秋蕎麦。摂氏七度・湿度60%に保たれた冷蔵庫で保管している
・殻は70%程とって石臼にかける
・石臼は粗い蕎麦粉になるように目立てられている
・1分間18回転程度にとどめて熱が加わらないようにしている
・30メッシュの篩にかける

自分で蕎麦を打たない私だが、蕎麦の実の風味をとばしやすい摩擦熱を回避するべく、石臼はゆっくりと回されることが多いのは存じ上げている。しかし他方で、敢えて回転を早めることで、上臼が下臼に対してかかる重さを軽くする手法を取る蕎麦屋もあるそうだ。
上臼の重さや目立て、蕎麦粉の恒常的な質や一時的なコンディション、そして挽き手が良しとする蕎麦との相関関係で様々な法則があるのだろう。挽き手ないし打ち手独自の「おらが蕎麦」(今風に言えば「俺蕎麦」になるのだろうか)があるのだろう。

そんなことを考えるともなく考えていると、料理が供され始める。

・六白黒豚三枚肉のうま煮(そば蒸パン添え)

舌を噛みそうになる程長いネーミングのこの料理。
三枚肉の白身の柔らかさと旨みをベースに、赤味や皮の(白身に比しての)硬さと旨みが付随されたようなテイスト。特に白身が美味しい。

蕎麦屋 にこら 六白黒豚三枚肉のうま煮(そば蒸パンつき)-1

醤油、みりん、酒、八角等で作られたと思しき(所詮は素人の想像なので、真に受けないでくだされ)タレも相まって、一口目から「おっ!」とばかりに目を見開くような美味しさを誇る。

・そばがき

蕎麦屋 にこら そばがき-1

茶巾状になっている表面は、蒸しパンのように軽くふっくらと張りがある。しかし中はモチモチとしていて軽くザラついてもいる粗挽きの蕎麦掻だ。
そして赤茶色のへたが混じっており、それがまた美しい。

何もつけずに一口いただくと、実にかぐわしい香りが放たれていることに気付かされる。その芳香を邪魔しない程度に控えめだが、しかし確かな存在感を誇る甘みもある。
この蕎麦掻と共につゆ、山葵、塩が供されるのだが、もはやどれだって甲乙つけ難く相性が良いとさえ思わされる程だ。もっとも、ご主人がそれら個々のセレクトを「どれだって良い」とは思っておらず、十二分に吟味された上でセレクトされたことは、敢えていうまでもないのであろうが。

・六白黒豚のつけ汁ざるそば

冷たい蕎麦を六白黒豚入りの温かいつけ汁で頂く蕎麦。鴨汁の鴨の代わりに豚肉が入っていると捉えて良いと思う。


蕎麦屋 にこら 六白黒豚のつけ汁ざるそば1

つけ汁はすっきりとまろやかな味わい。
節を中心にいくつかの味が混在し、醤油の旨味が優しく調律をとっている。

蕎麦屋 にこら 六白黒豚のつけ汁ざるそば2

一度しか頂いていないが、少し残念だと感じられたのは六白黒豚。
タレでハードに味付けられているわけでもなければ、しっとりと滲み出る旨味があるわけでもない。少し中途半端な味わいなのだ。
旨味を引き出し切れていないか汁にスポイルされているかのいずれかだと思われる。
もっともっと引き出せるような気がしないでもない。

・ ざるそば

黒殻交じりの粗挽き蕎麦。かね井の粗挽きそば程ではないけど極細で、しかし綺麗に切り揃えられている。
短くなっている箇所も少ない。

蕎麦屋 にこら ざるそば3

するするっと手繰ってみると、あくまで「粗挽き十割蕎麦としては」だけど、確かな弾力を感じる。
噛み進める内に、苦味には至らないもしくは実の甘さを阻害しない程度にとどめられた穀物的な香しさが鼻腔を優しくくすぐる。
この香りに付随する甘みもまずまず良好で、塩梅が良い。

蕎麦屋 にこら ざるそば4

かね井の「粗挽きそば」と一見すると良く似た蕎麦なのだが、最大の違いはやはり長さであろう。かね井の場合は潔い程に短いのだが、にこらの蕎麦は一定の長さを保っている。

かね井の短い蕎麦は、啜り心地・喉越し・コシを重視する人たちからは時に拒絶反応を示される。しかし強く惹かれる人たちの方が多い。それはおそらく箸一撮み辺りの少なさ(短い故にそう多くは掴めない)が、濃密な味わいを軽やかで繊細な調べに乗せ、口中と鼻腔に響かせることに成功しているからだろう。もちろん作り手がそう意図しているかは別の話だけど。
にこらの蕎麦は、かね井に比せばある程度の長さが保たれている。だから強い拒絶反応を示されることはかね井よりも少ないが、同時にかね井ほどには強く惹かれる人たちも多くない。おそらくにこらは、かね井ほどには濃密さに踏み込まなない、あるいは踏み込み過ぎないのであろう。元経営コンサルティングで理論家肌のにこらは、「短い」「すぐ切れる」というお客さんの声をあまり無視するわけにもいかないのかもしれない。

もちろん、これもあくまで比較の問題。にこらの蕎麦もそれ相応に濃密な味わいを有すし、「短い」「すぐ切れる」と不満を述べる人たちもいることは併記しておく。
しかしこの蕎麦には、かね井とにこらの共通点と相違点がもっとも如実に現れているように思われる。感性が理論を追い越してしまうのば前者で、理論が感性を押しとどめるのが後者だ。

・そばつゆ

いくつもの食材を使うのではなく、比較的シンプルにまとめているそう。しかし醤油の濃度・辛さが控え目でなおかつ糖分が淡い目なのが功を奏しているのか、複数の滋味を感受できる。
それは穏やかな海、そしてその海面近くで戯れる魚たちを思わせるものがある。当然、食べ手の髄にまで浸透するような深味を有するかね井のつゆとはまた異なっている。

穏やかな複数の滋味と髄に響かせる深味。この2つはそのまま、両蕎麦屋それぞれのの汁物全般を貫く特徴となっている。

鳩1

西陣の京町屋で粗挽き蕎麦を供し、なおかつ府内屈指の好評化を得ているという、一見するといくつかの共通点を有するかね井とにこら。
しかしそれらの共通点は、本当は共通点ではない。双方が写し鏡となって好対照を成すための擬制のようなものだ。
店の装い、そこに従事する人たちの佇まい、そして料理の質に至るほとんどが異なる。
既存の枠を広げたり増やしたりしながらも、理性で束ねる。そして高みや深みにあまり長居しない。
それが「理性」の蕎麦屋にこらなのだろう。

私個人としては、どちらかを選べと迫られれば、かね井を選択する。
だから当然ながら、にこらには少なくともかね井以上に思うところがある。とりわけこの蕎麦屋の新しさが「既に知っている新しさ」であり、斬新だとか「そう来たか」とは思わされない点において。
でもそうかといってにこらの有り様を否定したり無視したりはできない。
その存在が、京都の蕎麦屋全体の懐の深さを保証する。刺激となる。蕎麦好きにとってもにこらは替えのきかないバリエーションの一であり、刺激となっている。
だからこそ、こうして何度も足を運んでしまうのである。

(2010年6月最終訪問)

○ 蕎麦屋 にこら(公式HP

住所:京都府京都市上京区五辻町69-3(地図
営業時間:11:30~14:30 17:30~20:30
定休日:水曜日と第3火曜日
電話番号:075-431-7567
備考:禁煙、店舗北側に2台分の駐車場アリ

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実践の相 ~蕎麦工房 膳~ vol.1 | HOME | 蕎麦と小麦に関する覚え書き(という名の思いつき)

COMMENT

私、変わって居るので・・
私は再訪までのモチベーションが上るまで1年の以上の時間が必要です。
前回は 二年掛かりました。。

ご案内やご招待ならやぶさかではありません。

前回は 確か、その後かね井か おがわに 口直しに行きました(笑)
かね井なら20分ぐらいで歩けますよ。

矢張り寛げない 肌に合わないと言えば
簡単に その後の質問を止められますが・・・

他でも書いたように蕎麦屋と名乗る必然が無いように思うのです。

メニューの裏に書かれているように
拘って打たれた蕎麦なら もっと 蕎麦の味が濃くても良いはずです。

蕎麦があるだけでは 蕎麦屋といえません。まして、各分野から評価が高いなら 蕎麦で唸らせて欲しい

雰囲気の良い(と思われる客が多い)
無国籍料理のお店で 亭主が蕎麦に拘っているので、蕎麦も
おいしい 評判の店みたいな
紹介文が似合うんではないでしょうか?

残念ながら まだ この辺から抜け出せていません。如何ですか?

他にもこじつけた理由はありますが・・ここでは言えません。(汗)


2010/07/19(月) 15:16:39 | URL | 美味・・ #phHF4o9M [Edit]
美味・・さん こんばんは
って、御自身で省略しちゃったんですか?!

>無国籍料理のお店で 亭主が蕎麦に拘っているので、蕎麦も
おいしい 評判の店みたいな
紹介文が似合うんではないでしょうか?
> 残念ながら まだ この辺から抜け出せていません。如何ですか?

私としては、「ピカピカの町屋&ジャズ&創作料理という『新しさ』はもうベタかもね」と思いますし、悪く言えば、その商売的理論に忠実過ぎるようで鼻白むような気がしないでもないです。
ご主人が従業員を叱責する声が稀に聞こえるのも、あまり好きではありません。

蕎麦に関しては、甘みと穀物香のバランスが良い方だと言いますか、私はまずまず好きな方です。というか、そもそも好きな類の蕎麦なので、ちょっと評価が甘いのかもしれません。
あるいは、私は辛汁さんのようには自分で蕎麦を挽くことができないので、お品書きの裏面の説明を読んで「その挽き方でこの味と香りの濃さ?」との疑念を抱くことができないのも関係するかもしれません。

ただし個人的な感想を一旦措いて、京都の蕎麦屋全体にとってこの蕎麦屋はどうだろうかと考えると、面白い存在だともいえるのかな、とも。

京都的にはベタな在り様のにこらも、こと蕎麦屋に限定すればまだまだオンリーワン。
そしてミシュラン一つ星。
そんな蕎麦屋の蕎麦と料理が一体どんなものなのか。たくさんの蕎麦好きと蕎麦屋さんが訪れると仮定してみます。
すると、たとえばあのいくつかの京の食材を使った創作料理にしても、仮に他の気鋭の蕎麦屋主人がそれを食して
「あっ。この食材を使うのもアリか。俺はもう少しオーソドックスに味付けてみよう」
と影響を与えることはないだろうかと想像してみたり。
蕎麦だって、絶対に影響を与えないとはいえません。
「凄い…。見習おう」「俺だったらもっと美味しく打てる!」
等の陶酔や刺激を与えるかもしれません。
その他諸々の想定(嘘。夢想です)もありますが、枚挙に暇が無いので割愛しますね。

ダイヤモンド・オンラインのあのお方、そして美味・・さんのにこらもブログ記事ももちろん拝読させて頂きましたよ。
お二人は共に数あまたの蕎麦屋と蕎麦を知るお方。
京都の他の蕎麦屋にも行かれているのに、他ではなくにこらをダイヤモンド・オンラインに取り上げせしめる何か。
そして他の「書く気がしない…」として書かれることなく葬り去られてきた他の蕎麦屋とは違い、「にこらはおかしい。蕎麦屋じゃないでしょ」とばかりに熱く語らしめる何か。
肯定的か否定的かの違いこそあれ、にこらにはそういう何かがあるのかなとも。

好き嫌いや良し悪し、そして正誤等も含め、色々と波及力のある蕎麦屋なのかもしれませんね。

そういうわけで、私としては一歩踏み込んだ私個人の感想と、一歩引いた「他の人たちにとって、そして京都の蕎麦屋において、どういう存在意義を持つのか」という観点から、この蕎麦屋のことを考えてしまいます。

あとはまあ、私流に意地悪で、しかしすぐに反駁され得る稚拙な言い方でにこらを形容すれば、
「『飲食店として位置付けたい』と言いながらも、屋号から『蕎麦屋』を抜かず、お品書きも蕎麦が中心の、蕎麦屋から脱しきれない蕎麦屋」
とも言えるかもしれません。
それとは反対に、もし私が美味・・さんのように「ここは蕎麦屋といえるの?違うでしょ?」と考えるのであれば、たとえどれだけ蕎麦が美味しくても蕎麦屋と認めないかも。
「何故か蕎麦がやたらと美味しい無国籍創作料理店」
とか。
> 他にもこじつけた理由はありますが・・ここでは言えません。(汗)

是非是非、また別の機会に別の場所でお教えください!
2010/07/19(月) 21:32:28 | URL | 京瑠璃 #3KrfhFaQ [Edit]

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